北のエンジニアの学び備忘録〜時々、野球〜

自分らしくイキイキ働ける環境を追い求めるエンジニアの学びの記録

アラフォーから鍛える具体と抽象

はじめに

今回の投稿は「13歳から鍛える具体と抽象」の読書メモです。

抽象化が苦手だから、会話の中で簡潔に答えられないのか

[「13歳から鍛える具体と抽象」本文(50pp.)から引用]
抽象化してまとめた言葉や概念を扱うことができないと、周りの人から「話の長い要領を得ない人」と思われることになります。逆にいえば、抽象化がうまくできるようになると、「要点を簡素に説明できる人」になれるということです。

仕事でもプライベートでも、自分の話しているターンで相手の表情が徐々に曇っていくことがある。
自分の言っていることが伝わっていないんだなぁ、、話が長くなって相手を困らせているなぁ、、と自覚しつつも、自分の何の能力が劣っているからそうなるのか、何を鍛えると改善できるのかが、言語化できていなかった。
この本を読んで、それを言語化できた気がする。具体的なエピソードから抽象化して表現することが苦手なのだ。

賢くなるための基本をアラフォーになって知った

[「13歳から鍛える具体と抽象」本文(70pp.)から引用]
私たちが経験から学んで賢くなっていくプロセスは、同じように最初に具体から抽象への「抽象化」が起こり、その後に抽象から具体へという「具体化」が起きるという順番になります。
(中略)
私たちが賢くなっていくためには「具体と抽象」を行ったり来たりすることが基本であることがわかるでしょう。

学生時代の試験、社会人になってからの資格試験、仕事での担当業務でも同じようにその瞬間、その瞬間を対処するのに必要な知識を丸暗記したり、先人の真似をすることで、乗り越えてきた。
その時に具体と抽象を行ったり来たりするような思考プロセスを意識することはなかったので、無意識のうちにできていたのか、たまたま上手くいっていたのか。。。
恐らく後者だと思う。何となくこなすのではなく、意識して「抽象化↔︎具体化」のサイクルを回すことで、経験を知識に変換し、再利用可能なものにしていきたい。 (スクラムのベースの1つである「経験主義」に通じるものだと認識しました)

「考える」ための疑問詞:WhyとHow

[「13歳から鍛える具体と抽象」本文(81pp.)から引用]
たとえばWhyとは手段と目的(何のために必要なのか?)を結びつけるものであり、Howは逆に目的と手段(どうやって実現するのか?)を結びつけるものといえます。
ここでの手段と目的の関係は、「見えやすいものと見えにくいもの」「一つの目的に対して手段は複数あるという関係性」から、具体と抽象の関係の一種と見ることができるので、具体を抽象にするための疑問詞がWhy、抽象を具体にするための疑問詞がHowということもできるでしょう

最近仕事で、「あなたの文章にはWhy(なぜ、それをやらないといけないのか)が表現できていない。そもそも、Whyを理解できてないでしょ?他の人の考えを鵜呑みにして、考えることを諦めていない?」と指摘されたことを思い出した。
冒頭で抽象化することが苦手と表現していたが、苦手というよりも、抽象化のトレーニングを避けてきた結果の現状である。
「抽象化↔︎具体化」のサイクルを回すために、「Why」と「How」を言語化することを意識して取り組みたいと思う。

まとめ

既にアラフォーの身ですが、このタイミングでこの本に出会えたことに感謝して、「抽象化↔︎具体化」のトレーニングに勤しみたいと思います。